わが町・ヨコスカ
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 よく「町づくり」ということが言われます。それは、大企業を誘致して、町を活性化させること? 美術館や公共施設などを建設して、町を活性化させること?いいえ、私はそうは思いません。それは「町づくり」の本来の姿ではないと思います。では、本来の姿としての「町づくり」とは、何でしょうか?

 私の考える「町づくり」とは………。
「町づくり」の第1歩は、まず自分の「町」を知ることから始まると考えます。自分の住んでいる「町」のもつ文化や歴史を通じて、その良さを知り、そのことを子供たちに伝承していく。そのことによって、子供たちに自分たちの住んでいる土地への愛着を芽生えさせていく。そして、それが子々孫々へと受け継がれていく。それが私の考える「町づくり」のスタートであり、「町づくり」本来の姿です。

 そうした「町づくり」への私の想いから、皆さんが日ごろ見落としている、ヨコスカの良いところをこのホームページを通 じて皆さんに伝えたいと考えました。それにより、皆さんのわが町・ヨコスカへの理解と愛着が深まれば幸いです。

久里浜海岸[2007.06.15]
●明治16年、横須賀造船所内に初めて「電灯」が点灯。市内に電力の供給が始まったのは、明治40年7月になってから。●また、横須賀造船所に「電話」が設置されたのは、逓信省が誕生した翌年の明治19年で、横浜市より4年早い。一方横須賀市内の電話開通 は、明治38年3月。●「電灯」「電話」のいずれも横須賀造船所から始まり、横須賀にとって技術文明の伝播は、造船所から始まったことが伺えます。どちらも一般 に普及し始めるのは、市制が施行された明治40年頃で、まちが急速に発展したようすが想像できます。
●嘉永6年(1853年)6月に浦賀へ来航したペリーによって、日本は近代国家への第一歩を踏み出したが、このほかにもペリーがもたらしたものは、さまざまのものがある。その中に一つに「洋楽」があった。 ●ペリー一行が久里浜に上陸した際、武士達が一様に驚き、興味をひかれたものは、軍楽隊の演奏に合わせて整然と行進する姿であった。その後、軍楽隊の必要性を感じた幕府は「鼓笛隊」を編成し、イギリス艦隊から軍楽を学び、更に明治になり政府は薩摩藩を中心とした軍楽隊を編成し、明治9年に海軍軍楽隊を創設した。